2017-03-16

境界線って何だろう。帰還困難区域と今回居住制限区域。

境界線って何だろう。
帰還困難区域と今回居住制限区域が解除される地域の境界ライン。

コッチは住めて、道路一本あっちは、防護服着て、許可証を提示して、バリケードの中に入れてもらって出てきたらスクリーニング検査して。

子どもに質問された時に、そんな状況を上手に説明できますか?

「あっちは、放射能で汚染されているから、入っちゃいけないんだよ」
何て教えられないですよね。
同じ町内で、いじめ、なんて発生しないですよね。大丈夫ですよね。
大人へのセミナーとか開いた方が良いんじゃないかと思うんです。

   それと猪やハクビシンはそこらじゅう徘徊しているらしいですから、町から追い出さないと怖いですね。
猪と車の衝突は多いらしいですね。

ところで、野良の猫とか犬とかいるのかなぁ?   見かけなかったなぁ 。境界ライン近くにいたら、あっちと、コッチ往き来しているんでしょうね。
子供には「触っちゃダメ」って教えるのかな?


期間困難区域では、屋敷の入口にゲートが設けられている。双葉町にて


居住制限区域が解除される町の役場の方々も気苦労が多そうです。
居住制限区域目前ですが、それと同時に復興交付金の交付の期限が確定されてしまいます。しかし、国は金銭面だけでなくソフト面で、当該地方自治体に今まで以上の支援が必要かと思います。
私たちが治めている復興特別所得税を有意義に活用してもらいたいものです。

浪江町請戸の残った住宅。この辺りも解除なのか。
防潮堤はまだ工事中。(防潮堤の高さが低いように思われますが)




復興特別所得税とは
国税庁のHP⤵︎

https://www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinsei/annai/gensen/fukko/pdf/01.pdf





2017-03-13

前回と同様に、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を訪ねてきました。

 富岡町や大熊町、双葉町、浪江町は、いわき市の中心街から僅か直線距離40km程しか離れていないというのに、復興の進み具合の温度差は激しく違う。
 いわき市内は帰宅困難区域に指定されている地区とその付近の住民が、多く避難先として移住しているようです。
 もともと、いわき市に住んでいる人に聞いたところ、「賑やかになった。人と車が増えた。道路が渋滞するようになった。知らない人が増えた」などなど話していた。帰宅困難区域から北へは南相馬市があるが、そちらどんな状況なのだろうか。

 今回は、前回と同様に、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を訪ねてきました。
しかし、今回も双葉町は国道6号線を通り過ぎるだけとなってしまった。国道6号線から双葉町内へ入れる道路が全てゲートでシャットアウトされているのだ。基本的に事前に許可を得た住民だけが、防護服を着用して許可証を提示しないとゲートを進入できない。

国道6号線沿いの帰還困難区域の入り口のゲート(双葉町)



 帰宅困難区域内では、当たり前だが開いているお店はない。人が住んでいないのだから。避難指定地域には警察と警備の人たちは沢山いる。なんでこんなにいるんだろう。
 なんでこんなにも多くパトカーが往き来しているのだろう。盗難が横行していた時期もあったそうだが、もう今となっては、盗っていくものもないだろう。
  なにも立派な高級車のパトカーをバンバン走らせていなくても良さそうなもののと思ってしまう。
昨年は宮崎から来ている警察官と話ししましたが、その人たちの車はニッサン パルサーだったかな、違うかもしれないけど、フルっぽくて控えめのパトカーだった。遠くから来てこの車じゃ可哀そうだなと思った記憶がある。
 消防車もぐるぐる回っていました。火事が心配です。

 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町も除染作業は昨夏に比べるとかなり急ピッチに進んでいるように見えた。それと区画整理の進み、それに伴い住宅の建設戸数もかなりな増加したと思う。避難した住民が戻ってこれるように、受け入れの住宅の着工数も相当な数だと思う。
 (それにしてもここは海抜何m?しっかりとした高い防潮堤は完成していたっけかな?と思うところもありましたが。)

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
区画整理が進んでいます。(富岡町)

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
ホテルも建設中です。(富岡町)

  住民は「終の住処」と決心して戻ってくるのだろう。それには最低でもスーパーマーケットや病院やコミュニティーセンターが欲しいところだ。
もちろん高齢者が多いだろうから、介護サービスも充実してもらいたいし、小さな子供や若者と触れ合っていければ良いと思う。

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
復興公営住宅なども建設が進んでいます。(富岡町)

  急ピッチに復興してもらいたいが、慎重に時間をかけないといけない点が沢山あると思う。
今後、これ以上に原発が何らかのトラブルが起きずに「二度と避難しないでも大丈夫」の保証は誰もしてくれないし、言ってもくれないからね。

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
浪江町郊外も住宅地や畑では除染作業も進んでいます。

フクシマから(期間困難区域の)ゲートがなくなる日が1日でも早く訪れますように(祈)。



*私の誤認識や勘違いなどもあるかもしれませんが、ご了承ください。




              「晴れ ときどき 写真。」
            http://tokidokiphoto.blogspot.jp




2017-03-01

菱田雄介著「2011」を読み始めた。

 先日から菱田雄介著「2011」を読み始めた。
表紙はご本人が2012年3月に撮影した宮城県石巻の様子だ。
その帯には以下のように表されている。

  「故郷としてのチェルノブイリ、金正日政権末期の北朝鮮、革命直後のチュニジア、洪水に沈むタイ、東日本大震災と原発事故の東北、そして街角にはAKB48。日常が非日常に転化し、再び日常に取り込まれていく。写真家・テレビディレクターの「あの年」の記録

菱田雄介さんは、キヤノン「写真創世記」2008年、2010年と佳作入選しているのだから、写真家としても折り紙つきということになる。
「2011」はページ数が書いていない。コレ何ページあるんでしょう。
厚さは約2.5cmといったところか。
まだ読み始めたばかりではあるが、写真を挿しこみながら、読みやすい文章で、訪問先の様子も頭に描きながらスイスイ読み進んでいける。
いきなり、1月1日チェルノブイリ行きから始まるのであるから、読み手のこちらも、にわかに緊張しながらページを送るのです。
  チェルノブイリの次には北朝鮮行へと続いていく。

 もうすぐで、東北大震災が起きてから6年が経ち、7年目に入ろうとしている。
津波で壊滅状態の大打撃を受けた地域は、海との境には今後こそ津波で街が流されないようにと高い防潮堤を築いている。工事が竣工している所もあれば、現在進行中のところもたくさんある。
 だが、しかし福島の原発近くだけは例外である。進んでいないのである。取り残されているのである。
町内や住宅の敷地などの除染作業は行われてはいるものの、山林などの除染作業は行われておらず、雨が降れば放射能に汚染された土砂などが、平地に流れ込んでくるのである。もちろん大気の放射能も6μSv/h超の地区がいくつもある。
ここのサイトで毎日の放射線量を発表してくれている。

福島 フクシマ 帰宅困難区域 原発 放射能漏れで通行止め
大熊町 熊川海水浴場へ通じる道路

 こんな状況であるから、国の人間は事故が起きた福島の原発には近づいて復興作業をしないのである。つまり国は誰にも復興の指示ができない。唯一指示できる相手は東電にだけ。それでも東電株を大量に保有しているお役人さんや企業がたくさんあるから、無理なことも言えない。悪循環の構図。

  今でも北西約30km先でも3μSv/h 超の地区もあるのが驚く。この辺りは立ち入り制限区域にはなっていないと思う。
浪江町、大熊町、双葉町などの帰宅困難区域以外でも放射能レベルは依然として高い状況。

μSv/h × 24h × 365日 = 26,280μSv =26mSv(年間浴びてしまう放射線量)
実際はこんな単純な計算ではないみたいですが。

 原発事故が発生する前が年間に被爆しても人体の健康に悪影響を及ぼさないとされていた基準が年間1mSvで事故後に20mSvに引き下げられました。
「「チェルノブイリ法」では、年間被ばく線量が0.5ミリシーベルト(土壌汚染が37kベクレル/m2)以上の地域で、医療政策を含む防護対策が行われる。1ミリシーベルト以上であれば、避難の権利があり、5ミリシーベルト以上の地域は、移住の義務がある」だそうです。

 デフレスパイラルからの脱出さえできないのに、それ以上に困難な難題ですから、出来るわけがない。放射能汚染が収束するのは何十年後の話しなのだろか、100年以上先の話しなのだろうか。双葉町や浪江町や大熊街の存在はどうなってしまうのだろうか?あのチェルノブイリのような廃墟と化してしまうのだろうか?そして原発事故の現場見学コースになり、悲惨な現場の見世物になってしまうのか?

福島 フクシマ 帰宅困難区域 原発 放射能漏れ区域の家は立ち入り禁止
大熊町の住宅は立ち入り禁止のバリケードが張り巡らされている。





そして、裏表紙側の帯には、こう記されている。

  想像は超える出来事の積み重ねで、歴史は綴られる。
日常は非日常へと転化し、非日常が新たな日常を生む。
2011年はすでに過去となり、
世界は混沌の中で不透明な未来へと流れていく。
戦後はいつか戦前と、震災後はいつか震災前と
呼ばれるようになるのかもしれない。
その大きな流れの中で、あらゆる価値観が激しく揺さぶられた。
2011年の記録を道標に、僕は世界に向き合っていきたい。

2014年3月 菱田雄介


  同時に読み進めている 堀江貴文著「99%の会社はいらない」 を読んでをブログに書こうと思っていたのに、
なぜか「2011」の話になってしまいました。(苦笑)






*私の誤認識や勘違いなどもあるかもしれませんが、ご了承ください。