2017-05-16

魚津の蜃気楼は待ちきれなかった。


魚津の蜃気楼は待ちきれなかった。

蜃気楼を見るために数日間車中泊をしている人がいるらしい。
熱烈な蜃気楼ファンの方っていらっしゃるのですね。
私が魚津を退散した後にBランクの蜃気楼が出たらしい。
 蜃気楼の見え方にランク付けがあるのだそうで


富山湾 魚津の海の朝
富山湾の朝



蜃気楼より魚津の町中の方が魅力的に見えて散歩してきました。
町中では至る所で井戸水なのでしょうか?水が出ています。
そして狭いところを流れている水路も。


富山県魚津の町 自噴井戸の様子
富山県魚津の町 自噴井戸の様子

富山県魚津の町 自噴井戸の様子
富山県魚津の町 自噴井戸の様子



住宅街も商店街もかなり面白いです。って面白いって言っては失礼なのかな?とにかく私にとっては非常に魅力的なのです。
  隣も隣もその隣りもくっついている細長~い、家家の家並み。

富山県魚津の町の住宅の様子
富山県魚津の町の住宅の様子

富山県魚津の町の住宅の様子
富山県魚津の町の住宅の様子

富山県魚津の町の住宅の様子
富山県魚津の町の住宅の様子


水はびよーってたくさんふんだんに至る所で出ているし、くっついた家の中に解体した家があると、虫歯で歯が抜けたようになっている。それもしっかり治療したように、当たり前だが壁が貼ってある。その補修痕も面白い。ここは超芸術的トマソンの宝庫だ。



富山県魚津の町中の様子
富山県魚津の町中の様子

富山県魚津の町中の様子 自噴井戸の様子
富山県魚津の町中の様子

富山県魚津の町中の様子
富山県魚津の町中の様子

富山県魚津の町中の様子
富山県魚津の町中の様子

富山県魚津の町中の様子
富山県魚津の町中の様子


           

                    「晴れ ときどき 写真。」
                  http://tokidokiphoto.blogspot.jp



2017-05-13

能登半島に夕陽が落ちる。

  長野県から新潟県に入り、国道8号線で糸魚川から親不知を通り過ぎたら、とにかく国道。県道、市道からそれても、日本海岸沿いに西へ走る。素敵な名前のヒスイ海岸に期待を寄せて被写体を探してはみたものの、なかなか見つからず。

 徐々に陽は落ち始めてきたので、消波ブロックと防潮堤灯台のある眺めの良い場所に落ち着いた。


 夕日が落ちる先は日本海にあらずで、能登半島の低い山並みに落ちる。

ここは、すでに富山湾なのだろうか?東京湾のように地形がハッキリと入り組んでおらず判りにくい。とはいうものの、波が穏やかだ。

 夕日が落ちてもチャッチャト帰らないのは釣り人と私ぐらい。しかし私は星景撮らないので夕日が落ちて1時間もすれば退散しますがね。

日本の風景 日本海 富山湾 夕日
富山県入善町 入善漁港付近にて

日本の風景 日本海 富山湾 夕日
富山県入善町 入善漁港付近にて

日本の風景 日本海 富山湾 夕日
富山県入善町 入善漁港付近にて

日本の風景 日本海 富山湾 夕日
富山県入善町 入善漁港付近にて




                    「晴れ ときどき 写真。」
                  http://tokidokiphoto.blogspot.jp


2017-05-11

糸魚川に寄るのを忘れた。

 

  忘れた。新潟県糸魚川市の あの 現場に寄ってくること。アリャ~。

今、どんな状況になっているのか気がかりだったんんですよね。それでも忘れるんだから嫌になってしまいます。

 今、思い出してみると、糸魚川市辺りでは、残雪の白馬の山々と大糸線の車両とが撮れるスポットの事ばかりが気になっていたんだと。


日本の風景 大糸線
雪山を背景に走る大糸線
日本の風景 大糸線
大糸線「根知」駅付近にて


日本の風景 大糸線
大糸線「平岩」駅付近にて




                    「晴れ ときどき 写真。」
                  http://tokidokiphoto.blogspot.jp







2017-05-10

「行き当たりばったり」が、マイスタイル。



いつになく、観光地巡りしてき感が強い今年のGWの休暇であった。
白馬村野平の桜に始まり能登白米の千枚田で締めくくりでしたからね。

   いつものごとく詳細な計画など立てるわけでなく、出掛ける直前に、大雑把に能登半島の今までに尋ねたことがない地域を回って帰ってこようかな ぐらいの感じで出かけ始めました。
  ほぼ無計画なお出掛けは、車内で寝てしまえる強みかなとも思います。ハイエースみたいなばりばりの車中泊できます撮影用の車でもなく、ましてやキッチンやベッドなどの装備品の着いたキャンピングカーでもない。
  私のお出掛け用の車は、いたって普通のRV車ですから、車内でカップラーメンさえ作れないし、天井低いし、寝心地も良いわけでなく、居住性は悪いです。それでも、後席のシートを倒せば、足が伸ばせて寝れるスペースが出現して、常備しているシュラフと毛布でグッスリ睡れます。


    冬は寒くて起きる。夏は暑くて起きる。夜中にトイレに行くのも面倒だけど、こんなスタイルで出掛け始めて何年ぐらい経ちますでしょうかね。

  とは言うものの「バッチリ下調べしてから出かけたいな」 と思う時も多々あります。車に乗ってもしばらくは、行き先も決まっておらずに、「さて、どっちに向かって走ろう?」ってのも、ちょっと焦っちゃう時がありますからね。


日本の風景 長野県白馬村の桜
長野県白馬村




長野県白馬村

長野県白馬村

長野県白馬村


長野県白馬村









2017-04-09

「皆に忘れないでほしい」の言葉を胸に。

東日本大震災から6年と1ヶ月。

死者、行方不明者2万人超。
現在、今尚、12万人超の避難生活者。

NHK 特集「明日へつなげよう」-東日本大震災から6年- のビデオを見返している。

番組内のインタビューで、仙台の方々は、こうこう答えていた。

「6年間たった感じがしない、ついこの間のよう」
「復興進んでいない。もっと進んでいいんじゃないか」
「遠いところで起きた地震って、人ごとだと思う。皆に忘れないでほしい」


震災直後に南三陸町を訪ねた時の衝撃は忘れることなどできるわけがない。
「壊滅」の2文字は現場で目の当たりにして意味がわかるのかもしれない。

昨日は、居住制限区域が解除された富岡町と浪江町に寄ってきました。
浪江では打ち上げ花火が富岡町の夜ノ森では桜並木のライトアップが催されていた。
 残念がら、浪江の花火はチラッとだけ、夜ノ森のライトアップでは時間が間に合わずでした。

 福島においては、日本に帰還困難区域があるという現実は正常ではない状況だと思っています。東京都心からでも、車で僅か3時間程度の場所です。
 遠い所で起きた災害ではないのです。
 
「皆に忘れないでほしい」の言葉を胸に、
今後も、福島の状況を当ブログとフェイスブックにアップしていこうと思います。


本日の写真は、夜ノ森駅のライトアップの消灯後の様子です。

福島県 富岡町 夜ノ森 桜並木 
「富岡は負けん」
福島県 富岡町 夜ノ森 桜並木
福島県富岡町夜ノ森の桜並木

福島県富岡町夜ノ森 桜並木
福島県富岡町夜ノ森の桜並木の隣接では。



*私の誤認識や勘違いなどもあるかもしれませんが、ご了承ください。



              「晴れ ときどき 写真。」
            http://tokidokiphoto.blogspot.jp






2017-03-16

境界線って何だろう。帰還困難区域と今回居住制限区域。

境界線って何だろう。
帰還困難区域と今回居住制限区域が解除される地域の境界ライン。

コッチは住めて、道路一本あっちは、防護服着て、許可証を提示して、バリケードの中に入れてもらって出てきたらスクリーニング検査して。

子どもに質問された時に、そんな状況を上手に説明できますか?

「あっちは、放射能で汚染されているから、入っちゃいけないんだよ」
何て教えられないですよね。
同じ町内で、いじめ、なんて発生しないですよね。大丈夫ですよね。
大人へのセミナーとか開いた方が良いんじゃないかと思うんです。

   それと猪やハクビシンはそこらじゅう徘徊しているらしいですから、町から追い出さないと怖いですね。
猪と車の衝突は多いらしいですね。

ところで、野良の猫とか犬とかいるのかなぁ?   見かけなかったなぁ 。境界ライン近くにいたら、あっちと、コッチ往き来しているんでしょうね。
子供には「触っちゃダメ」って教えるのかな?


期間困難区域では、屋敷の入口にゲートが設けられている。双葉町にて


居住制限区域が解除される町の役場の方々も気苦労が多そうです。
居住制限区域目前ですが、それと同時に復興交付金の交付の期限が確定されてしまいます。しかし、国は金銭面だけでなくソフト面で、当該地方自治体に今まで以上の支援が必要かと思います。
私たちが治めている復興特別所得税を有意義に活用してもらいたいものです。

浪江町請戸の残った住宅。この辺りも解除なのか。
防潮堤はまだ工事中。(防潮堤の高さが低いように思われますが)




復興特別所得税とは
国税庁のHP⤵︎

https://www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinsei/annai/gensen/fukko/pdf/01.pdf





2017-03-13

前回と同様に、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を訪ねてきました。

 富岡町や大熊町、双葉町、浪江町は、いわき市の中心街から僅か直線距離40km程しか離れていないというのに、復興の進み具合の温度差は激しく違う。
 いわき市内は帰宅困難区域に指定されている地区とその付近の住民が、多く避難先として移住しているようです。
 もともと、いわき市に住んでいる人に聞いたところ、「賑やかになった。人と車が増えた。道路が渋滞するようになった。知らない人が増えた」などなど話していた。帰宅困難区域から北へは南相馬市があるが、そちらどんな状況なのだろうか。

 今回は、前回と同様に、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を訪ねてきました。
しかし、今回も双葉町は国道6号線を通り過ぎるだけとなってしまった。国道6号線から双葉町内へ入れる道路が全てゲートでシャットアウトされているのだ。基本的に事前に許可を得た住民だけが、防護服を着用して許可証を提示しないとゲートを進入できない。

国道6号線沿いの帰還困難区域の入り口のゲート(双葉町)



 帰宅困難区域内では、当たり前だが開いているお店はない。人が住んでいないのだから。避難指定地域には警察と警備の人たちは沢山いる。なんでこんなにいるんだろう。
 なんでこんなにも多くパトカーが往き来しているのだろう。盗難が横行していた時期もあったそうだが、もう今となっては、盗っていくものもないだろう。
  なにも立派な高級車のパトカーをバンバン走らせていなくても良さそうなもののと思ってしまう。
昨年は宮崎から来ている警察官と話ししましたが、その人たちの車はニッサン パルサーだったかな、違うかもしれないけど、フルっぽくて控えめのパトカーだった。遠くから来てこの車じゃ可哀そうだなと思った記憶がある。
 消防車もぐるぐる回っていました。火事が心配です。

 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町も除染作業は昨夏に比べるとかなり急ピッチに進んでいるように見えた。それと区画整理の進み、それに伴い住宅の建設戸数もかなりな増加したと思う。避難した住民が戻ってこれるように、受け入れの住宅の着工数も相当な数だと思う。
 (それにしてもここは海抜何m?しっかりとした高い防潮堤は完成していたっけかな?と思うところもありましたが。)

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
区画整理が進んでいます。(富岡町)

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
ホテルも建設中です。(富岡町)

  住民は「終の住処」と決心して戻ってくるのだろう。それには最低でもスーパーマーケットや病院やコミュニティーセンターが欲しいところだ。
もちろん高齢者が多いだろうから、介護サービスも充実してもらいたいし、小さな子供や若者と触れ合っていければ良いと思う。

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
復興公営住宅なども建設が進んでいます。(富岡町)

  急ピッチに復興してもらいたいが、慎重に時間をかけないといけない点が沢山あると思う。
今後、これ以上に原発が何らかのトラブルが起きずに「二度と避難しないでも大丈夫」の保証は誰もしてくれないし、言ってもくれないからね。

フクシマ 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町 復興工事
浪江町郊外も住宅地や畑では除染作業も進んでいます。

フクシマから(期間困難区域の)ゲートがなくなる日が1日でも早く訪れますように(祈)。



*私の誤認識や勘違いなどもあるかもしれませんが、ご了承ください。




              「晴れ ときどき 写真。」
            http://tokidokiphoto.blogspot.jp




2017-03-01

菱田雄介著「2011」を読み始めた。

 先日から菱田雄介著「2011」を読み始めた。
表紙はご本人が2012年3月に撮影した宮城県石巻の様子だ。
その帯には以下のように表されている。

  「故郷としてのチェルノブイリ、金正日政権末期の北朝鮮、革命直後のチュニジア、洪水に沈むタイ、東日本大震災と原発事故の東北、そして街角にはAKB48。日常が非日常に転化し、再び日常に取り込まれていく。写真家・テレビディレクターの「あの年」の記録

菱田雄介さんは、キヤノン「写真創世記」2008年、2010年と佳作入選しているのだから、写真家としても折り紙つきということになる。
「2011」はページ数が書いていない。コレ何ページあるんでしょう。
厚さは約2.5cmといったところか。
まだ読み始めたばかりではあるが、写真を挿しこみながら、読みやすい文章で、訪問先の様子も頭に描きながらスイスイ読み進んでいける。
いきなり、1月1日チェルノブイリ行きから始まるのであるから、読み手のこちらも、にわかに緊張しながらページを送るのです。
  チェルノブイリの次には北朝鮮行へと続いていく。

 もうすぐで、東北大震災が起きてから6年が経ち、7年目に入ろうとしている。
津波で壊滅状態の大打撃を受けた地域は、海との境には今後こそ津波で街が流されないようにと高い防潮堤を築いている。工事が竣工している所もあれば、現在進行中のところもたくさんある。
 だが、しかし福島の原発近くだけは例外である。進んでいないのである。取り残されているのである。
町内や住宅の敷地などの除染作業は行われてはいるものの、山林などの除染作業は行われておらず、雨が降れば放射能に汚染された土砂などが、平地に流れ込んでくるのである。もちろん大気の放射能も6μSv/h超の地区がいくつもある。
ここのサイトで毎日の放射線量を発表してくれている。

福島 フクシマ 帰宅困難区域 原発 放射能漏れで通行止め
大熊町 熊川海水浴場へ通じる道路

 こんな状況であるから、国の人間は事故が起きた福島の原発には近づいて復興作業をしないのである。つまり国は誰にも復興の指示ができない。唯一指示できる相手は東電にだけ。それでも東電株を大量に保有しているお役人さんや企業がたくさんあるから、無理なことも言えない。悪循環の構図。

  今でも北西約30km先でも3μSv/h 超の地区もあるのが驚く。この辺りは立ち入り制限区域にはなっていないと思う。
浪江町、大熊町、双葉町などの帰宅困難区域以外でも放射能レベルは依然として高い状況。

μSv/h × 24h × 365日 = 26,280μSv =26mSv(年間浴びてしまう放射線量)
実際はこんな単純な計算ではないみたいですが。

 原発事故が発生する前が年間に被爆しても人体の健康に悪影響を及ぼさないとされていた基準が年間1mSvで事故後に20mSvに引き下げられました。
「「チェルノブイリ法」では、年間被ばく線量が0.5ミリシーベルト(土壌汚染が37kベクレル/m2)以上の地域で、医療政策を含む防護対策が行われる。1ミリシーベルト以上であれば、避難の権利があり、5ミリシーベルト以上の地域は、移住の義務がある」だそうです。

 デフレスパイラルからの脱出さえできないのに、それ以上に困難な難題ですから、出来るわけがない。放射能汚染が収束するのは何十年後の話しなのだろか、100年以上先の話しなのだろうか。双葉町や浪江町や大熊街の存在はどうなってしまうのだろうか?あのチェルノブイリのような廃墟と化してしまうのだろうか?そして原発事故の現場見学コースになり、悲惨な現場の見世物になってしまうのか?

福島 フクシマ 帰宅困難区域 原発 放射能漏れ区域の家は立ち入り禁止
大熊町の住宅は立ち入り禁止のバリケードが張り巡らされている。





そして、裏表紙側の帯には、こう記されている。

  想像は超える出来事の積み重ねで、歴史は綴られる。
日常は非日常へと転化し、非日常が新たな日常を生む。
2011年はすでに過去となり、
世界は混沌の中で不透明な未来へと流れていく。
戦後はいつか戦前と、震災後はいつか震災前と
呼ばれるようになるのかもしれない。
その大きな流れの中で、あらゆる価値観が激しく揺さぶられた。
2011年の記録を道標に、僕は世界に向き合っていきたい。

2014年3月 菱田雄介


  同時に読み進めている 堀江貴文著「99%の会社はいらない」 を読んでをブログに書こうと思っていたのに、
なぜか「2011」の話になってしまいました。(苦笑)






*私の誤認識や勘違いなどもあるかもしれませんが、ご了承ください。












2017-02-17

群馬県甘楽郡南牧村にて

群馬県甘楽郡南牧村

地名だけで想像できちゃうほどの過疎の村。
ただの過疎だけでなく限界集落と呼ばれてしまっています。

南牧村の人口は2000人弱(平成27年10月国勢調査)。
19歳以下が94人
65歳以上が1197人。人口の半数以上が65オーバー。
その内90歳以上が90人もです。
もっと驚きが100歳以上が7人(全員女性)でびっくりです。

参考 国勢調査のページ。
http://www.nanmoku.ne.jp/modules/profile/index.php?content_id=20

 地元の方々は「限界集落」と呼ばれていることに抵抗があるかどうかは知りませんが、私にはとても魅力的な響きのフレーズです。言われえている方はいい迷惑かな?

「限界集落」だから南牧村が私にとって魅力的というわけではありません。
私は今回訪ねたのが2回めですが、いずれも「ほっと」する場所と感じています。
 日々時間に追われ、慌ただしい普段の生活の毎日は落ち着きがなく、時々、心に乾燥注意報が発令されいいます。そんな時に、南牧村の人と出会い立ち話しした時には、心に潤いを与えてくれました。

 私は集落内を歩くだけでも良いのです。それだけで癒され効果が抜群です。
今回はゆっくりと散歩ができなかったので、次回は、ゆっくりと、のんびりと時間を気にせずに歩き回ってみたいと思います。

日本の風景 群馬県南牧村 限界集落
群馬県南牧村の街道沿いにて

日本の風景 群馬県南牧村 限界集落
群馬県南牧村の街道沿いにて

日本の風景 群馬県南牧村 限界集落
群馬県南牧村の街道沿いにて

日本の風景 群馬県南牧村 限界集落
群馬県南牧村の街道沿いにて

日本の風景 群馬県南牧村 限界集落
群馬県南牧村の街道沿いにて






              「晴れ ときどき 写真。」

            http://tokidokiphoto.blogspot.jp









2017-01-10

今年のスケジュール帳はバーチカルで。

 今年からは、久しぶりのバーチカルタイプのスケジュール帳。

 昨年の後半からは、何かと時間に追われる日々の連続。R. コヴィー的に言えば「第2領域」と「第3領域」が 私を圧迫させていた。本来私が第3領域のボリュームが多い、及び増大して行き、最も重要な第2領域がスポイルされてしまうことは芳しくないのだが、昨年末は特に、それが顕著だった。年の瀬でですので、仕方ないとも言えなくもないのですが、反省です。
 また、新年早々から、スケジュールが埋まっていく始末なので、「スケジュール手帳は、可能な限りブランクが好ましい。」とも言っていられない状況となってしまっている。

  時間も人間も限りある中で、他の者に作業を依頼しつつ、アウトソーシングを上手く活用し、本来の業務を遂行して行くことを見直さなければいけない。
 特に注意しなければいけないのが第3領域で埋め尽くされ、自分を見失ってしまうことだ。

  第2領域の時間を取り戻すために、今年前半から、バーチカルタイプでスケジューリングしていこうと考えた。第2領域と第3領域は手帳に書き込み、手帳を見る。そして、第1領域と第2領域は、勿論手帳に書き込むが、メインは脳内へ。
忙しくなると、それらが逆転してしまう恐れを、極力押さえ込ませようと思う。

  今年後半からは、また「スケジュール手帳は、可能な限りブランクが好ましい。」状態にしていきたいです。

トラベラーズノート ブルーエディション

 手帳は、お気に入りの3年目?ぐらいのトラベラーズノートのブルーエディションです。
もう一冊欲しいと思ってネットで探したらとんでもない値段になっている........。






              「晴れ ときどき 写真。」

            http://tokidokiphoto.blogspot.jp

  

2017-01-04

ホームページ リニューアル的な。

ホームページを編集しなおしました。
ちょとだけイメージ変えてみて、写真のカテゴリーと量も幾分増やしました。

 とは言うものの、極端に 「スナップ」の中身がない。「Tokyo」も少ない。
pcの中のどこかにいづれのデータもあるはずなのに、みつからない。

  今年は、「東京」を撮りに行かないといけないですね。

  ホームページはこちら
http://takayanagishu01.wixsite.com/s-takayanagis-photo