投稿

2014の投稿を表示しています

年末のご挨拶になるかも?ならないかも?

イメージ
   一年に数回だけですが、国内のちょっと遠いお出かけは楽しいもので、今年は、1月に福島方面、7月に北陸、山陰方面へ。8月に新潟から山形方面へと日本海沿いに走りました。  それ以外は近場の群馬、栃木、秩父方面が多かったですかね。  来年はどのあたりを廻りましょうかね。ちょっと遠いより、もうちょっと遠い所へ行きたいかな。贅沢なこと言えば、時間に追われたくない。ですね。    今年の撮影の機材は、ちっとも小さくないコンデジを購入。PENTAX MX-1 コレ結構、今の所、気に入っています。ちょっとレスポンスが悪かったりなんかしますが、実に見栄え良く写ってくれます。   困ったのは、OLYMPUS OM-1がぶっ壊れたこと。まだ1年経過していなかったのに...。再々修理に出しました、さてどうなることやら.....。これは来年のネタですかね。   今は、一応キヤノンのカメラも持っていますので、そちらを運用しています。  それと、年末にやらかしてしまいました。データ消去。去年の写真と今年のほとんどの写真をゴミ箱に捨てちゃったOrz...。復旧のソフトで探しても見つからなかった。大失敗です。幾つかは、別のPCに残っているとは思いますが……。  自分は写真を撮るのも勿論好きなのですが、出掛けるのはもっと好きみたいです。 「出掛ける」 と 「カメラ」 をどっち取ると聞かれたら 「出掛ける」です。 きっと、ほとんど多くの方も同じ答えのような気もしますが。   先日、新橋へ飲み会があったので行ってきましたが、蒸気機関車のC11が綺麗にイルミネーションでキラキラと輝いて展示してあったんですよね、私のC11の思い出は、大井川鉄道のC11 227ですわ。私が中学生の時に、SL復活ってことで大井川鉄道がコレ走らせたんです。見に行きましたよ。もちろんカメラ持って。その時のカメラはPNTAX SP-F。懐かしいでしょう? って私が懐かしいんですけど。       とりとめのない下手な文章になってしまいました。どうしようもないくだらない事なら、まだまだいくらでも筆?は進みますが、そんなことしていたら、のんびりとお正月を迎えられなくなりそうなので、それでは、バイバイ。     栃木県日光市内

植田正治写真美術館と鳥取砂丘。

イメージ
植田正治写真美術館と鳥取砂丘  埼玉県立近代美術館で開催された写真展や数々の写真集や 「植田正治写私の写真作法」著者:植田正治など読んだりして、それなりには見聞きして興味を持っていたので、ぜひ、鳥取の大山にある植田正治写真美術館に行ってみたいと以前から思っていました。   そんなところ、写真のお友達から 「植田正治写真美術館へ行こう!」 お声がかかりまして、2014年7月に行ってきました。    同行者は、IPAで最終審査まで通過しちゃっているような人達だったり、キヤノンのフォトコンでグランプリを取っちゃっている人とかで、引率者が?米津光先生だったりする豪華メンバー!。   まあ、私はドライバーがメインみたいなものですかね。   植田正治さんといえば、鳥取砂丘。当然、鳥取砂丘にも行って撮ってきました。 期待は全くしていなかった、海風が作り出す風紋は、やはり予想通りに観光客の足跡(私のも含めて)でかき消されています。   しかし、大胆な砂丘の滑らかなラインはお見事です。鳥取まで来ないとコレが見られんのかあ!?って感じですが、浜岡はどんな感じでしたっけ?      写真を撮る。たったコレだけの事なのですが、 結構楽しめました。また、行きたいです。       写真家と鳥取砂丘

日常的な海との関わり。

イメージ
日常的な海との関わり 海なし県の埼玉県に育ち40年以上。すっかり海との関わりは、写真を撮りに行く時ぐらいしかなくなってしまった。  海水浴やサーフィンでもするのであれば、海に行く機会は多いのでしょうけれども、全くやらない。潮干狩りさえやらない始末だ。海が嫌いと言う事でもないはずだが。   今夏の鳥取の植田正治写真美術館へ行く際に、折角、北陸・山陰の海岸沿いを走るのだからという事で「自然と人間の接点探し」を意識付けをし、自然の「海」と、人間と密接に係る「神社」とが接している場所を写真に収めることを今回のお出掛けのテーマとしました。      昔から海沿いに住んでいる人達は、海との際で厳しさと闘いながら、その中で恩恵に感謝しつつ永いこと毎日の日々を生活し続けています。そして、自然の厳しい環境下で生きている世界では、太古から現代に受け継がれる伝統や言い伝え、おとぎ話など数多く残されております。  人々は、海を敬い祀り立てる。そう言った類の象徴として存在するもののひとつとして、海の中や際に立つ鳥居や社なのでしょう。     石川県 能登半島

北陸そして山陰へ

イメージ
北陸そして山陰へ  今年初夏には、鳥取の植田正治写真美術館を目的地として、北陸・山陰を海沿いに走ってきた。 単純に海岸沿いに写真を撮りながら走るのも良いが、今回は写真の撮影に際して、自分に少々テーマを課してみた。  今春に  「自然と人間の接点探し」 で 「今年は、現実と向き合って、自然と人間との接点探しを目的とする」などとのたまっていた。  と言うことで、植田正治写真美術館への道中の課題は、そのものズバリ「自然と人間の接点探し」であり、実践編だった。      2014.07 石川県 珠洲市 見附島(軍艦島) 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

今年が終わらないうちに。

イメージ
  なんだか、ブログの更新がを怠けていた。前回は、8月21日。 2014年はまだ?30日もあるのだから、今年が終わらないうちに、 今年後半のひとり反省会的に 反省文をダラダラと書いてみるとしましょうかね。   今年は、「本州の日本海側沿いを走ってみよう。」 と言う事で、鳥取、京都、石川、富山、新潟、山形、秋田を回ってきている。 なんか中途半端だよね。    島根、山口、青森が抜けているよね。別に、制覇することが目的ではないので、行かなかったことに、悔いがあるとか、残念だったとか、思いは全くないのだけれども、島根、山口や青森だけを目的地に出かけるには、埼玉からじゃあチョット難儀だよね。    日本海沿いを走ろうと思ったきっかけは? なんだっけかね? 「雪で積もった白い砂浜と海が撮りたい。」だったが、 まあ、見事に撮れなかった。 そんなこんなで、冬の新潟から始まり、初夏には、植田正治写真美術館を目的地に鳥取、京都、石川、富山と周り、お盆時には目的地は何処ということもなく新潟、山形、秋田の海沿いを走った。   小学生の絵日記みたいな文章になっちゃってますが、つづき は次回に持ち越しです。 ではでは。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

ざわつきを消したら癒される景色になるのかも。

イメージ
ふと、感じたことです。 ざわつきを消したら癒される景色になるのかも。 自分の写真を見ていたら、海や湖の波を長秒で、フラットに収めていると、ざわざわとした、落ち着きのない動きが、目と耳に伝わってこない。   波の音が伝わってこないというのは、臨場感が薄れることと同時に、見る人にとっては、自分で勝手な想像を働かせることも出来るということにもなるね。     写真を見る人主体の写真。わかりにくい表現だけど、自分の好きなものを好きで撮っている写真だけれど、写真を見てくれる人が主人公になれるような写真って、撮れたらいいな。そしてそれが、癒し系の写真だったりなんかしたら嬉しいな。    とふと思いました。                             晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

「挑発する家・内省する家」 埼玉県立近代美術館

イメージ
埼玉県立近代美術館で建築のお勉強。 「挑発する家・内省する家」 「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」展は人間の生活の基本である。「衣・食・住」のうちの「住」に焦点をあてた展覧会です。 https://www.facebook.com/momaspr?ref=stream  より。  建築の勉強されている学生さんには、非常に勉強になるので はないでしょうか。 丹下健三、磯崎新、白井晟一、宮脇檀、安藤忠雄等々の作品を写真、模型、図面、ビデオが見れます。 結構ボリュームありますよ。  懐古的な展示会ではありますが、現在の利益追従重視の大量生産な無機質の生産者側立場の住宅建設の蔓延に慣らされ、麻痺している「住」の役割りを、再考できる良い機会だと思います。   ※決して、大手住宅メーカーさんやパワービルダー(建売住宅業者)さんを批判しているわけではありません。予めご了解願います。  余談ですが、「衣・食・住」に生命・損害保険は 何処かに属するのでしょうか?一生涯の出費から考えても、現代においては、保険をプラスして、「衣・食・住・保」って言うのも間違ってはいないような気がします。               晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

街をデザインしてほしい。

イメージ
  各、地方自治体が必要に迫られていること。それは、県・市 ・町民を増やすこと、維持することであり、極力減らさないことだと思う。   夕張市は他人事ではないはず。  人口減少。住民票の人数より、少ないはずの実生活者数。 家余り減少。空き家ばかり地域に解体出来ずに放置状態の家々のある町。  財政が困難になる前に、街をデザインして欲しい。  魅力ある街。住みたくなる街。憧れられる街。誇れる街。  建物一戸毎のデザインも勿論ですが、もっと広い範囲で、駅を含めた街をデザインし、その周囲の住宅地の街区もデザインし、整備して欲しい。 バラバラな整備計画でなく、有る程度まとまった整備が必要だと感じる。  雑多な感じ、様々な用途が混在したまとまり感のない感じ。これが日本の街の特徴だと思う。 それはそれで良いが、課題は、人々がこの街に住みたいと感じ、住んでもらえること。  様々なことが、国から地方に委ねられる傾向があります。権利の移行もありますが、同時に負担も強いられていきます。  地方は、今有る、観光資源も含め、景色、遺産、自然、農魚業 などの資源を大切にしつつ、人が移住して来てくれる町作りを頑張ってください。  私の住む町の近くで区画整理が継続されているところがあります。建物が建てられる地区は暫時建築が施されているのですが、そこに新しく綺麗な駅と駅前のロータリー広場があります。電車から降り駅のエスカレーターを降りて正面を見ますと、賃貸(アパートみたいな)マンションが、でーんと建ってます。その建物のバルコニーは駅に向かっています。当然洗濯物も駅に向かって干されます。いかがなものでしょうかね。  (字を小っちゃくして)個人的に好き勝手な事を言っていますので、関係者の方はゴメンナサイ。(←謝る必要もないか) 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

不均衡の中のバランス

イメージ
 不均衡の中のバランス  このフレーズがそもそも釣合いが取れていないよね。  規則正しく並びつつ、均整がとれた羅列の中に、それを乱す物があったりなんかすると、とても楽しい被写体になる。  一見、シンメトリーに見えるのだけれども、わざと、微妙に崩すデザインなんか最高ですね。 それとは逆に、ばらばらな配列だったり、統一感のない物の羅列が、実は遠目から見ると、規則正しく並んで見えたり、統一された物の羅列に見えたりなんかしたら、これもまた、実に楽しいわけです。  建築素材や土木用の材料など単一的な無機質なものが多い中、それが人間の手によって、現場なりに、対応して加工されたものは実に、温かみや人間味などと言った、味が醸し出さててくるように見えるわけです。時にはユーモラスに見えたり、リズミカルに見えてみたり、作業員の苦労も見えたり。    話しが脱線してしまいましたが、整っているようで整っていない。バラバラの様だけど統一感がある。そんな風景が好きで、普段探し歩いているような気がします。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp/

リニューアルでお洒落に。

イメージ
    日本では、戦後の高度成長期に建てられた鉄筋コンクリートの建物が多く存在している。そう言った建物は、取り壊しが進んでいます。   老朽化した建物は、取り壊しをして、建物を新築するのが常ですが、外装や内装そして設備等をリニューアルしておしゃれなデザインの建物に生まれ変わると言う案も一考だと思います。   勿論、耐震補強や通信のインフラの整備、再生可能エネルギーの採用や万一の災害時のライフラインの確保など考慮しつつ、既存の建物を活かした方法はいかがでしょうか?   写真はドイツへ行った時に撮った共同住宅の建物ですが、とてもお洒落なデザインで、決して派手な感じはありませんでした。日本でも参考になるのではないでしょうか。 撮影地:ドレスデン市内                        晴れ ときどき 写真。                   http://tokidokiphoto.blogspot.jp

インパクトとか緊張感と言ったもののある写真とそうでない写真。

イメージ
 インパクトとか緊張感と言ったもののある写真とそうでない写真。   インパクトある写真を意識しすぎてか、不自然な色調の写真って多く見かけますよね。 特にデジタルカメラで撮り、気軽にPCで編集ができるものだから、容易にコントラストや色彩の編集ができちゃう。   撮影の現場で見て感じた記憶を写真で再現すると、「あーなちゃうのかな?」とも思う。 感覚は皆それぞれ違うものだから、それはそれでいいのかもしれませんが、あまりに押し付けがましい写真は、私は どうも見るのも撮るのも苦手です。   それとは全く別の次元の話しで、写真をプリントして人に見てもらうとなると、その鑑賞者に印象に残る写真であってほしいものです。   わざわざ自分の撮った写真に目を向けてもらうわけですから、記憶に残って貰いたい。それには、ひとつめは、インパクトとか緊張感と言ったもののある写真。ふたつめは、インパクトはあるが、緊張感のない写真なのではないだろうか。と思う。   インパクトとか緊張感と言ったもののある写真は、刺激的で、心に瞬時に突き刺さるわけであり、写真の中へと引きずり込まされていく。且つ、写真が訴えている全てを読み取ろうとじっくりと見入ってしまうのである。   もう一方のインパクトはあるが緊張感のない写真は、前髪を揺すり、耳をくすぐりながら、目の前を吹き去って行く心地よい風が吹き去って行くかのように、五感で感じながらそれもゆっくりとしたリズムで脳内へと伝わり、いつまでも、緩く記憶の中に留まっているのである。    日常の生活が仕事中心で動いているせいでしょうか、心休まる風景にひかれる時が多いですね。 自分が撮りたいものと、ひかれる風景とは一致するものもあれば、そうでない場合もあるものですね。           撮影地:埼玉県志木市内 荒川河川敷にて                晴れ ときどき 写真。           http://tokidokiphoto.blogspot.jp

ライフワーク

イメージ
ライフワーク ライフワークって そもそも何?ってありますよね。 ライフワークの定義なんて言うものは、誰か決めたのか? ライフワークって 誰が言い始めたの? 「LIFEWORK」 って英語があるんですね。和製英語ではないみたい。 訳すと「一生の事業」。  「趣味が 自分の中の生活の一部だっ」って言うだけではライフワークとは呼べないんだ。 だから ライフワーク って言葉は、簡単には口に出せない。   作家の本田健さんは、ライフワークをこう 定義している。wikipediaより。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF ライフワークとは、自分のなかにある《幸せの源泉》から湧き出る情熱を使って自分らしさを表現し、まわりと分かち合う生き方と定義している [1] 。「幸せの源泉」とは、そこにつながるだけで、本人が幸せになるようなこと。その人らしい本質で、静かなワクワクを感じ、つきることのない情熱がある場所である。  本田健さんの、この定義に関しては、私は賛同できる。というより ライフワークとは こうであってほしい。 しかし、ライフワークが「一生の事業」ってことだから、収入を得ることがつきまとってくる。だから、本田健さんのライフワーク関連の書籍には当然、ライフワークで収入を得る話が出てくる。   ここで はたと考える。「一生の事業」 一生とは当然、死ぬまでと言う事だ。事業とは、投資をしつつ収入を得る事だ。 こりゃ えらい こった。 私は 「一生の趣味」でえさえ、写真撮ること と言えるのか? ましてや 事業でしょう?  事業 は確かにやってますよ。定年退職も任意で良いし。 しかし、「 その人らしい本質で、静かなワクワクを感じ、つきることのない情熱がある..」ともなると、 今のお仕事とは、ちと違うんだな。 ライフワーク じっくり考えてみましょう。 ではでは。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

「蓄積」

イメージ
  今後の自分の為に、興味を持った事、知り得たことは、しっかり整理して、 いつでもその資料を取り出せるようにしておきたい。   このことは自分にとって苦手な事な訳だが、書籍を読んでも、脳に蓄積ができないから、 ノートやPCに頼ざらるを得ないわけだ。    最近の私はiPadを日常利用しているのですが、例えば、evernoteでデータベース化していくこととかできるのかもしれない。   ネットで、気軽に知りたいことが知ることが容易になったので、その場限りで終わらせないように、蓄積 が気軽にできるようになりたいものです。

「自然と人間との接点」探し

イメージ
  「 自然と人間との接点」 人間が自然界の中で融和しているかのように見えている中で、クッキリと鮮明な境界線だったり、おぼろげでハッキリしない境界線だったりがあるのだと感じる。   いずれもの、その境界ギリギリの「極(きわ)」に自然と人間との接点が存在するはずである。   私の場合、カメラを持って出掛けに行くことは、単に写真を撮ることが目的ではなく、カメラは、対象物に失礼のないよう偽りなく、フィルム(デジタルデータ)に記録し、自分の感じ得た心情を収める最適な道具だと思う。  今年は、現実と向き合って、自然と人間との接点探しを目的とする。そして、その写真に 自然と人間との接点が写り込んでいたら、こんなに嬉しいことはない。    決して、自分の感じたことを他人に押し付けることのないように。とあえて、付け加えておきます。今の私の写真の腕じゃあ、偉そうな事は言えないけどね。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

接点

イメージ
  都心部に住み、働いていると、人間がこの世の中心であり、人間の為に世の中が回っていると勘違いしやすいのではないだろうか。   しかし一歩、郊外に出て自然と接触すると、自分の小ささ、弱さを感じると同時に、自然の強さや優しさも感じることもあるでしょう。    私が住んでいるところは、全然都心部ではない。かと言って、自然環境豊かな環境とも言いにくい所ですがね。   今、「自然と人間の接点」を考え始めているところです。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

カテゴリーってやつ。

イメージ
  さてさて、以前私の撮っている写真はランドスケープってカテゴリーかなと、たわけたことを言ったことがありましたが、それはおこがましい発言だったような気がしてなりません。   かと言って、スナップと言うにも、インパクトが弱い感じがするんですよね。   写真を あーでない こーでない って いろいろもがきながら、撮影しているので、カテゴリー別けできている場合じゃないのかもしれませんね。     自分にはノンジャンル ノンカテゴリーって感じが、性にあっているのかな?って感じがしている、今日この頃です。  ⬇︎の写真に写っているのは私ではありません。悪しからず。 ( 知っている人は知っている。当たり前か???。) 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

毎日の鞄の中に。

イメージ
  以前にも書いたのですが、私のお気に入りのカメラは  eos5d+Distagon T*1.4/35の組み合わせ  。   コレを毎日通勤鞄に入れて移動するのは、重量的に厳しいので、コレに変わる小振りのカメラがないかな?といつも思っています。  センサーはフルサイズでなくても良いのですが、 Distagon T*1.4/35 に似たボケ味の 小振りのレンズとそれが付けられるボディがほしいですね。  それが有れば、毎日、鞄に入れて持ち歩けるのにね。 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

「ウラからのぞけばオモテが見える」

イメージ
「ウラからのぞけばオモテが見える」 日経BP社発行 佐藤オオキ  デザインオフィスnendo代表。  デザイナー佐藤オオキさん デザインの本質や、佐藤オオキさんが生み出すデザインのプロセスなどが分かり易く丁寧に書かれている。  デザインに携わっている人や興味のある人、そうでなくともビジネスマンや経営者にも、ビジネスのヒントになる話がいっぱいあると思う。  私は本を読んで、為になるフレーズの箇所は鉛筆で、その箇所を囲むように印をするのだが、この本は、鉛筆の印だらけになってしまった。    「小さな違和感は人々の心に届き、喜びや楽しさをもたらしてくれる。頭であれこれと考えなくてはならない理屈ではなく、一瞬にして感じた事は、人々はそのブランドについて知るきっかけとなるはずだ。また、思いもかけずに喜びを感じた出来事は、その後も人々の心に長く残っていくだろう。「なにか違う」、「なんか、いいよね。」と。」                   「ウラからのぞけばオモテが見える」より抜粋。 私の3/19のfbにも取り上げていましたね。 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=281322035359952&set=pb.100004464723147.-2207520000.1397140495.&type=3&theater 晴れ ときどき 写真。 http://tokidokiphoto.blogspot.jp

イメージ
 先日amazonで購入した古本 「森山大道論」の中から一枚の栞。  本来は栞ではないが、栞として、使用されていた。本を読み始めた3日目ぐらいに気付いたのであった。  それは、写真展の入場券の半券。 「森山大道展」2008年5月13日ー6月29日 東京都写真美術館  。  そして、その本は2008年6月 4 日初刷発行のものであり、 入場券の半券の裏には、同日の6月 4日の  入場のスタンプが、押されているのである。  先日、私は、森山大道の関連の本が読みたく、amazon で購入した。 「森山大道論」の古本は幾つかの書店で取り扱っていた。販売価格もまちまちである。    何故にして、私がこの、「森山大道展」の半券の栞が挟んであった本を手にしたのだろうか。   これには深い意味が込められているとか、偶然でなく必然の出会いだったら、なんて勝手に都合良く考えると、わくわく、楽しいものである。  今回は、森山大道関連の本を3冊ばかり購入した。「  写真のフクシュウ   」「   写真との対話   」そして「森山大道論」であった。

琴線に触れた。

イメージ
最近になって。土曜日休みをとるようになり、時々週休二日になる時がある。    正月休みやお盆の休み、ゴールデンウィークなどの連休は有りましたが、二十数年間、週休二日などなかった勤務体制。  ちょっと休みが増えた事によって、脳みそで、写真の事を考える時間ができた。 そしたら、手が止まった。 脳を動かすと手が止まる。こりゃ困った。 何を撮る。 どういう写真を撮っていこう。 写真を撮った後はどうする。 何を目指す。 趣味で終わりかい。 こんな言葉が脳の中を反芻するばかり。 つまりは、休暇を上手に使えない。  ようやく読書も出来るようになった。  知人と飲める機会も増えた。が。  先日、「写真家 森山大道」の言葉が琴線に触れた。  「 たいして動かないで考えて、あのスタイルもこのパターンもイヤだとか分かったとか言ってやめてしまったら、そこでおしまいなんですね。 やはり撮ることによって変わっていくしかないんです。」  「ダメならダメでやりつづける、変えようという意志よりも撮る意志によって変わっていくことのほうがぼくは正解だと思う。」  「あんまり頭の中でごちゃごちゃと考えたり、理屈をこねてる前に、撮っちゃったほうがいいよっていうことなんだ。」  「理屈なんて、後からいくらでも付けられるんだからさ、 生きて写真を撮ってること自体が、すでにテーマなんだから、その先にさらにテーマなんて必要ないよ。」  「カメラって世界をバンバンとコピーしてくれるでしょ? あれこれとストーリーを考えなくてもいいわけだし、 だって、街そのものがストーリーなんだから、 そこにあるもの自体がアートをやっているわけだから、(写真で)わざわざアートにしなくてもいい。」 「NAVERまとめ」より抜粋。 http://matome.naver.jp/odai/2138019327725015801?page=2 Tokyo sta . Japan OLYMPUS E-P5 +  M.ZUIKO DIGITAL ED  9 - 18mm  F4.0-5.6

周期

イメージ
 先日、知人のカメラマンのFbにコメントさせてもらった 「チリ大地震の津波の教訓を生かしても尚、想定以上の津波に壊滅状態になってしまいました。 その土地に生まれ住んでいる人でなければわからないこと、逆に住んでいないからこそ分かる事 っていうのもあるかと思います。  太古の時代には伝承は口承や絵文字や象形文字だったりでしたが、時代と共に伝播技術が発達した現代はもっと、後世に上手く伝えられると良いですね。」 私は、20111年でも今と同じような事言っていました。 写・真 http://blog.livedoor.jp/shusuke777/archives/4382595.html 地元の人でなければ、わからないこと。都会で暮らしている人には、わからないこと。 離れているからこそ わかること わからないこと。できること、できないこと。 2011年当時の私のブログに、南三陸の写真を一部載せています。 http://blog.livedoor.jp/shusuke777/archives/2011-03.html 2012年9月南三陸に再訪時の写真。 http://blog.livedoor.jp/shusuke777/archives/2012-09.html そして、UPできずにいた、いくつもの写真があります。 人力で避けられるものなら避けたいものです。   2011年3月27日 南三陸町

最近気になっている言葉

イメージ
最近気になっている言葉 ● 1/f ゆらぎ ● ポリズム    OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan    OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan                                      OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan                                      OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan

撮影と鑑賞

イメージ
  写真というものは、能動的でもあり、受動的でもある。 ひとつ事に、相反する事象が共存すること、これは写真に限ったことではない。   カメラで 撮る と言う行為は、自分が主体の能動的であり、 写真を 鑑賞する と言う行為は、受動的である。   被写体を選び、カメラのボディとレンズの組み合わせで、記録する。 自宅で撮ることもあるでしょう。遠く海外に赴き撮りに行くこともあるでしょう。 それはどこであり、写真を撮るということは、積極的行動の中にあり、能動的なものである。    一方、写真を鑑賞する ことは、写真を見た時に、自分がどう感じるか、と言うこと。 素敵 とか、綺麗とか、癒される とか言った感情が湧いてくる。はたまた、衝撃的だったり、憎悪だったり、それは様々な感情があるでしょう。勿論、写真の全てに感情が生まれてくるものとは限りませんよね。また、見る人によって、同じ写真を見ても、抱く感情が相違するることも珍しくありません。    能動的と受動的。 そして、撮影と鑑賞。  写真が面白いのは、当分尽きそうもありません。                                        OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:千葉県船橋市 chiba-ken . Japan

旅行と読書

イメージ
 「永遠の0(ゼロ)」 百田尚樹著の次は、「ヨーロッパ鉄道旅ってクセになる!」吉田友和著。 そして、また、百田尚樹の「モンスター」。  旅行は、リアルに異空間へと飛んで行けて楽しい。 読書は、バーチャルに異空間へと運んでくれて楽しい。時には過去へ、時には未来へと連れて行ってくれたり、遠隔地だったり、仮想の土地だったりにも、どこでもドアー的に移動ができる。    書物でなくても映画も、そうではあるのだが、書物は登場人物を自分勝手に想像しても良いという自由度が高い。容姿や声も勝手に想像してもオッケーなのだ。      百田尚樹著の「モンスター」 を本日から読み始めたのだが、この本もまた、登場人物やその土地の風景などをめちゃくちゃ想像しながら、読み進んでいくのです。 文才の有る方達が羨ましい~。  OLYMPUS OM-D E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5 撮影地:埼玉県さいたま市 武蔵国一之宮神社 (大宮氷川神社) Saitama-ken. Japan

おやおや tumblr にまで

イメージ
 Blog,Facebook,Pinterest,Twitter,おやおやtumblrにまで手を出してしまった。  どれも中途半端だというのに、新しいSNSに登録して、写真をUPし始めたのだ。  そんな私は、mixiとLineには、手を出していない。イヤ、正確に言いますと、Lineは一時登録したが、速攻で解除。自分の連絡先全部が、吸い上げられている感じがイヤだった。  Frickrもやってみたいのだが、写真に取り組む姿勢から変えないと、写真をUPする事さえ、ためらってしまう。  tumblr 何とも覚えにくいスペルだ。初めて間もないせいだけでもありませんが、tumblr の運用の仕方が?。 Pinterestとの違いは?  とりあえず、あーでないこーでない と試行錯誤 やってみますわ。  それで 私の tumblr のボードは ココ ↓ http://shuichitakayanagi.tumblr.com/ お気軽に覗いてみてください。 撮影地:栃木県日光市 OLYMPUS E-M1+ED 50-200mm f.2.8-3.5 

欲張りです。

イメージ
 撮りたい被写体はたくさんあって困ってしまう。 先日の新潟も、海ばかり撮っていましたが、非常に魅力的な家そして町並みが目の前にあったのに、撮れなかった。これは非常に残念だった。  TVで放映の「世界の車窓から」なんて見ちゃった日には、もう無性にその街に行きたくなってしまう。  「あなたは何が撮りたいの?」と質問されても困ってしまう。自然の風景でも街でも、建築物でも人でも、スナップでも。  だけど、対象が女性となると、苦手ですね。撮る以前にカメラを向けようとするだけで緊張しちゃって駄目ですね。  OLYMPUS E-M1+ED 50-200mm f.2.8-3.5   撮影地:新潟県長岡市 日本海

今年最初の課題は

イメージ
 今年最初の課題は、デジタルカメラで撮った写真を、現地からタイムロス少なく、iPadを利用してSNSサイトにUPできるか。  必要な道具は、デジタルカメラ、iPad、Wi-fiルーター、カードリーダー。 昨年購入した 全天球360度のイメージを撮影できる RICOH THETA を活用していきたいので、RICOH THETAと三脚と三脚の延長ポール。リモート操作にiPhone(iPadでもOK)。  それらプラス忘れちゃいけないのが、それらの充電用コードとデジタルカメラの予備バッテリー。   写真を編集すること、コメントの文字の打ち込み作業の効率を考えますと、ノートPCの方が良いのですが、iPadの良い所は、バッテリーの持ちが良い事、軽い事、起動の立ち上がりが速い事ですね。iPad用(アンドロイド用もあります)に優秀なアプリがあって 「Adobe Photoshop Touch」→http://www.adobe.com/jp/products/photoshop-touch.html  これがあれば、私にはコレで十分だったりもします。    私の撮影スタイルは、jpeg.撮り。写真の加工や編集は、PCではキヤノンのカメラの付属品のDPPでほとんど用が足りてしまいます、時々、Adobe Photoshop Elements も使ったりしますが、建物撮った時に、パースペクティブが醜い時の修正や文字入れなどで使ったりしますかね。       だいたいPC使って、文字入れしたとしても、写真編集に一枚あたり、5分も掛かっていないでしょうね。もっと本腰で作品を作る気合がないとダメですね。  仕事上、撮った写真を現地でタイムロスなく、ストレスなくSNSにUPする。先ず今年最初に、これを自分に課してみます。  OLYMPUS E-M1+ED 50-200mm f.2.8-3.5   撮影地:新潟県長岡市 日本海 

新潟県 日本海 1月12日 pm4:57撮影

イメージ
 撮影が目的に日本海に向かったのは初めてのことだった。 川越I.Cから関越自動車道で北に車を走らせ長岡から北陸自動車道で西へ。 西山I.Cでおりて、一般道路で海へ向かう。  先ずは、柏崎刈羽原発へ。どうも被写体になりそうなところがなく、撤退。 TVで映るあの場所はどこから撮っているのだろう?どうもフェンスには撮影禁止の札が掲示されていたりするので、普段、一般の人は見る事ができない所なのかな?  柏崎から国道352号線で北上。日本海沿いの家は特徴的である。 壁は木板。屋根は瓦。建物が全体的に黒いというか暗い色調なのである。最近建てたような建物は明るいトーンの建物もあるのだが、街に溶け込まずに違和感があるものだ。  今回は一番北は寺泊だったのだが、以外だったのが、海水浴場がたくさん点在しているのである。柏崎から寺泊までで、どれだけたくさんの海水浴場があったのだろう。冬の荒波の日本海から海で泳いでいるなんて、とても想像ができません。   実は天気予報が ユキ だったから、砂浜の雪と海のコンビネーションの写真が撮りたかったのです。しかし、期待通りにはいかず、雪は佐渡の方から横殴りの風と共にわずかな雪が舞ってくるだけで、積雪は全くありませんでした。   まあ、それでも1月12日の午後遅くから13日の1日を撮影で楽しんだのでした。   OLYMPUS E-M1+ED 50-200mm f.2.8-3.5     撮影地:新潟県長岡市 日本海

裏磐梯

イメージ
裏磐梯 OLYMPUS E-M1+ED 50-200mm f.2.8-3.5 撮影地:福島県 裏磐梯(2014年1月)

道の駅「湯西川」の温泉は良かったな。

イメージ
今回の正月休みは、 2013年12月29日〜12月30日 赤城山〜みなかみ 2014年1月2日〜1月4日 奥日光〜五十里湖〜裏磐梯  こんな感じで出掛けてきました。  徐々に北に上がっていったのですが、裏磐梯以外は、積雪量は少なめでした。 気温は栃木県大谷辺りから宇都宮辺りが−6度。却って、奥日光や裏磐梯の方が、ー1度ぐらいで寒くなかったでした。    五十里湖界隈で写真を撮った後に、寄った道の駅「湯西川」には温泉施設があり、入浴してきました。そのお陰で体の芯からぽっかぽっか。車中での寝泊まりもスヤスヤ。いいお湯でした。 湯の郷:道の駅 湯西川 http://www.michinoeki-yunishigawa.jp 撮影地:栃木県日光市 OLYMPUS E-M1+ED 50-200mm f.2.8-3.5 雪の中に三脚の石突き一個埋もれたまんま探し出せなかった〜。注文せねばならぬ。 ED 50-200mm f.2.8-3.5のズーミングのトルクに異常。オリンパスに修理依頼。 やれやれ……。

明けましておめでとうございます

イメージ